暗記と学問
2006.05.18 Thu
紙名は覚えていないが先日の新聞に暗記術こそが最強の勉強法だとして紹介されていた。そこには試験における暗記の重要性が説かれていたが私にはそれが一番の勉強法だとはとても思えなかった。資格を得る上で確かに暗記術は有効だ。しかし、資格を取得したと言う事は専門職として最低限の能力を認められたと言う意味で大切なのはそこからどのようにして自分がプロとしてふさわしい人物になるのかであろう。暗記で得られたアイテムは自慢できない。それは分かり易く言えば知っていて当然の事でしかないからだ。
学生時代は法学部に在籍していた私は物事の暗記に関しては多少の自信がある。その経験は今の趣味での歴史学習に活かされている。だが年表を暗記しているからと言っても自慢にならないし、どれだけの判例や法律を記憶しているからと言っても同じく人に誇れるものではない。
確かに暗記は学習や学問において決して軽視できるものではない。暗記しなければ多くの試験には対応できないし、研究中や仕事中にわざわざ辞書を引いたりマニュアルに目を通してばかりでは実践的とは言えない。私は暗記を馬鹿にしているわけではなく、その記事を書いた人は『暗記は学習の最も基礎になるものであるから重視しなければならない』と紹介すべきだと言っている。
年号や事件名、法律に判例はそれぞれの専門分野にとっての一つのアイテムにしか過ぎない。そのアイテムを基礎知識の一つとして身につけ、更に応用が可能なように根源的に理解を深めてから初めて私たちは体系的な学問と向き合う事が出来る。暗記術とはその学問に向き合うのに必要なアイテムを一先ず表面上の事柄だけでも記憶に焼き付けると言う基礎中の基礎を得る為のスキルにしか過ぎないと言う事を彼はしっかりと述べるべきだったのだ。
人間の記憶力には限界があり膨大な資料を全て暗記する事は不可能となる。故に我々は辞書や資料を手元に置く。我々は自分達の知らない言葉や事柄を資料から読み取るのだが、その読み取りに使われるのが暗記によって覚えられた使用頻度の高いアイテムだ。基礎知識を土台としてより高度な資料を読み取ってそれを様々な実践や学習の中で磨かれた応用力と己の頭の中で体系立てられた理論によって形にするのが学問の一つの顔なのである。先ほどから繰り返すが私は暗記術や暗記によって得られた知識を軽視してはいない。暗記を含めて全ての道具は学問を構築する上で優劣をつける事は出来ず、全てが必須なのだ。
今、教育について議論が交わされているが勉学を誤解させるような発言は少々軽率ではなかろうか。私達は学問とは何かと言う問題に立ち返ってそこから教育とは何かを考え抜本的にそれらを見直す必要があるのだと強く感じている。




